ウクライナ戦争と近衛文麿の洞察【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」44
◆戦争にたいする評価を決めるもの
近衛の主張について、佐藤誠三郎は以下のように論評します。
【国際関係にたいする理想主義的アプローチそれ自体を、適応すべき現実、ないし順応すべき大勢とする現実主義は、理想主義へのシニシズムに容易につながりうる。とくに世界的に優越的地位を保持しているアメリカとイギリスとにおいて、権力政治の否定がもっとも強く主張される時、野心的な中進国日本のなかに、それへの反発が育まれるのは当然である。】(同)
分かりやすく言い直しましょう。
国際秩序において、ボス的な立場にある国が「みんな仲良く平和にやろう」と言ったとき、各国がそれに賛同するのは、「仲良く平和にやる」という理念が素晴らしいからなのか(=理想主義)、ボスに反抗して睨(にら)まれたくないという打算のせいか(=現実主義)は微妙なところである。とくに日本は、一つ間違えれば欧米列強の植民地になりかねない状態から出発して、五大国の一角に入り込んだだけに、「自分に都合のいい状態を守りたいだけだろうが、キレイゴトを言いやがって」と思う者が出てくるのは当然だった。
けれども、強者への反発だけで片付けるのはもったいない。
「英米本位の平和主義を排す」には、戦争をどう評価するかという点をめぐる鋭い洞察が見られるのです。
まず近衛は「国際秩序のあり方(=現状)を本当に変えたかったら、結局は武力に訴えるしかない」という認識から出発する。
世界の現実に照らして、これは今なお多分に正しいと言わざるをえません。
大きな変革は、既得権益の喪失をほぼ確実に引き起こす以上、話し合いによって実現するのはきわめて難しいのです。
したがって「何でも話し合って平和的に」と構えるのは、大きな変革を抑え込むことで既得権益を守る効果を持つ。
なるほど「現状維持を便利とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱ふ」ではありませんか。
ここまで来れば、
「とにかく平和は尊い、だから戦争はダメ」
という発想ですべてを割り切ることはできなくなる。
事を荒立てまいとするばかりに、弊害だらけの現状が続くとしたら、いかんせん望ましいとは言えません。
逆に武力行使によって犠牲が生じたとしても、現状が顕著に改善されたとしたら、それは肯定されるべきではないでしょうか。
まさに「平和主義なるゆえに必ずしも正義人道に叶うにあらず、軍国主義なるがゆえに必ずしも正義人道に反するにあらず」。
「とにかく平和は尊い、だから戦争はダメ」の風潮が根強い戦後日本すら、戦前、とりわけ昭和初期の軍国主義という「現状」を改善するには、アメリカによる武力行使と占領が必要だったと見なしているのですぞ!
だからこそ、「要はただ、その現状なるものの如何(=よしあし)」が問題だという結論になるのですが・・・
国際秩序の現状が、どの程度望ましいか、あるいは望ましくないかは、それぞれの国が置かれた立場によって異なるはず。
これは何を意味するか?
そうです。
近衛文麿が主張しているのは、
〈戦争にたいする評価は、国際秩序のあり方が自国にとって持つ意味合いで決まる。望ましければ戦争は否定され、望ましくなければ肯定される〉
ということなのです。
裏を返せば、いかなる戦争であれ、唯一絶対の普遍性を持った評価など存在しない。
われわれは主体性をもって、おのれの自由と責任のもと、それぞれの戦争にたいする評価を決めねばなりません。
ならば近衛公の洞察に基づき、「日本(人)にとってのウクライナ戦争」を評価するとしたら、どういうことになるか?
この先は次回、お話ししましょう。
文:佐藤健志
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